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小説目次 / 崩れる夜 / · 約2分

相部屋の夜

地方出張、手違いで一室しか取れていなかった。取引先の若い担当と、布団が一組足りない部屋で。

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フロントの手違いで、部屋がひとつしか取れていなかった。

謝り倒す夜勤のスタッフの前で、俺と相手の男は顔を見合わせた。相手は、今日の商談で組んだ、先方の若い担当だった。名刺の肩書きはまだ「主任」で、たぶん俺より二つか三つ下。よく笑う、まっすぐな男だった。商談の最中、隣で資料をめくる指の節が妙に大きくて、それを何度か目で追ってしまったことを、俺は思い出さないようにしていた。

「まあ、ツインが一部屋空いてるなら、それでいいですよ。な?」

彼が、あっけらかんとそう言った。俺のほうを見て、同意を求めるみたいに。いいですよ、と俺も言った。声が、ちゃんと普通に出たかどうか、自信がなかった。

案内された部屋は、ツインと言っても、ベッドがふたつ並んでいるだけの、狭いビジネスホテルの一室だった。ベッドとベッドのあいだは、大人がひとり、ようやく通れるくらいしか空いていない。

先にシャワーを浴びた彼が、上だけTシャツで出てきた。濡れた髪から、首筋に水滴が伝っていた。ほんとすいませんでしたね、こんなことになって、と彼はタオルで頭を拭きながら笑った。全然、と俺は答えた。ノートパソコンの画面を見るふりをして、本当は一文字も頭に入っていなかった。

消灯して、それぞれのベッドにもぐりこんだ。

天井の非常灯の、緑がかった小さな光だけが残った。空調の音。隣のベッドで、彼が寝返りを打つ、布のこすれる音。狭い部屋だから、その音のひとつひとつが、やけに近い。彼の吐く息の間隔まで、聞こうと思えば聞こえてしまいそうだった。

「……起きてます?」

暗闇のなかで、彼の声がした。ひそめた、低い声だった。

起きてる、と俺は答えた。

しばらく、返事がなかった。空調が、ひとしきり唸って、止まった。部屋が、水のなかみたいに静かになった。

「こういうとき、なんか、変な感じしません」

どういう、と訊き返した俺の声も、いつのまにか同じくらい低くなっていた。

「わかんないけど」彼が言った。「なんか、目、冴えちゃって」

衣擦れの音。彼が、こちらを向いたのがわかった。この暗さでも、視線というのは伝わるものらしい。ベッドとベッドのあいだの、あの狭い暗がりを挟んで、彼がまっすぐこっちを見ている。それが、はっきりとわかった。

「主任」と俺は呼んだ。

なんですか、と彼が言った。呼んだくせに、その先の言葉を、俺は持っていなかった。ただ、彼の名前を、この暗闇のなかでもう一度呼びたかった。それだけだった。

シーツが動く音がした。彼の手が、ふたつのベッドのあいだの、あの狭い隙間に伸びてくる気配があった。俺は自分の右手を、シーツの端まで動かした。

指が、触れた。

引っ込めなかったのは、どちらもだった。

非常灯の緑が、天井でずっと灯っていた。出張の夜は、まだ始まったばかりだった。